ふるさとは…
古今東西を問わず、個人的な郷愁や故郷へのメランコリックな心理や感情の昂りを文学や歌舞音曲などの作品に込め、世に送り出してきた作家は少なくありません。また私たち自身、昭和ノスタルジー、大正ロマン、ベル・エポック等のネーミングにも象徴されているように、時間的に遡って過去の特定の時期あるいは空間的に離れた場所を想像し、その特定の時間や空間を対象として懐かしみの感情で価値づけることはよくあります。そしてそのような場合、対象の負の部分は除外されていて、都合よく過去のイメージを再構築している場合が多いのもまた事実ではないでしょうか。そんな一般的な人々にとっては除外されがちな負の部分を自身の作品へと昇華させていた詩人のひとりである室生犀星(1889年—1962年)が詠った詩…
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
室生がこの詩を詠んだ背景には私生児として生まれ、両親の顔を見ることなく養子に出されたことや「お前は妾の子」だと揶揄されて育ったことが深く関係しています。室生はこの詩に限らず「杏っ子」と題する小説でも血統・誕生・故郷・家・命・人と章題を構成し、自身の生涯を色濃く反映する作品を書いています。つまり、作品は自身の先天的とも捉えることのできる要素で構成されており、読み方によっては郷土史としても読むことができます。このような文学的記述の傾向はこの時代(19世紀中期〜20世紀中期)には往々にして見られたものだと言えるでしょう。
それにしても、過去のしがらみに捕われながら何十年にもわたる制作活動を東京で続けた作家・室生犀星にとって、過去のしがらみは悲しいかな切り離すことはできませんでした。そんなことを思うと、作家のふるさとと芸術作品は切り離すことのできない関係にあると考えることができますね。