本の聖地

ヘイ・オン・ワイ(Hay-on-Wye)という町をご存知でしょうか。

英国ウェールズの片田舎に位置するこの町は、1960年代以降『古書』を核とした地域おこしを行ってきました。現在では、1年を通じて訪れる観光客は絶えず、特に1988年以来毎年5月から6月にかけて約10日間開催されている文学祭への来町者数は50万人にも及んでいます。特に古書愛好家の間では知らない人はいない古書の聖地となり、戦後イギリスで最も成功したツーリズムとして知られています。そんな聖地の形成は、本の王ことリチャード・ブース氏の存在を抜きにしては語ることができません。

第2次世界大戦後、イギリスにおいてもヘイ・オン・ワイのような小さな町は、〈自動車で郊外の大型スーパーマーケットに安価で多様な商品を買い求めるようになる→昔ながらの商店街は姿を消す〉〈地場産業の衰退→若年世代の都会への人口流出〉等の理由により、衰退の速度をはやめていました。そんな負の連鎖が構造化しつつあった時に、「スーパーマーケットの進出によって、小さな町や村の商店街は破壊され、地域の文化・伝統・生活が壊れていく。地域の商店は、住民の豊かな暮らしには必ず必要であり、商店街を保全することが町を楽しくする」と考える30歳のブース氏が忽然と町にやってきて、廃業していた映画館を買い取り、古書屋第一号を開店させました。その後、旧消防署や古城を古書の館に変え、徐々に町に変化をもたらしていくとともに、ブース氏はヘイ・オン・ワイの独立やEEC脱退宣言、総選挙へ出馬するなどのマスメディア戦略を通して、この小さな町をさらに有名にしていくことに成功していきました。そんなユニークな発展を続けてきた町ですが、私が特に注目した点は、ブース氏が一貫してアンチ・スーパーマッケットの立ち位置に立ち続けてまちづくりを行ってきたということです。

大型スーパーマーケットの進出が、地域社会を支える商店街を崩壊させることで、地方の文化や伝統を壊していったのは英国だけではなく、もちろん日本にもあったし①、私自身その利便性を享受してきた現代っ子のひとりです。ですが、地方を歩くたびに駅前通りはシャッター商店街となったことで、消えてしまった心温まる共同体に想いを馳せるたびに心さみしく思われる方々は決して少なくないはずです。

英国の片田舎にある『古書の聖地』の形成は、ブース氏の本への想いだけではなく地域社会を支える商店街を守ろうと奮闘した結果在るということから、私は学ぶことがあるのではないかと思います。

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①1990年2月、米国から「消費者利益が損なわれている、消費者は高いものを買わされている」等の論法で、大規模小売店舗法を地方自治体の上乗せ規制を含めて撤廃するべきだとの要求を受けた頃から、日本の商店街の空洞化が進んだと言われている。