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山添とうまの主張


3月28日(金)に与謝野町長選挙公開討論会が行われました。事前に7つの質問を頂き、持ち時間内で3人の候補予定者が主張を述べました。私の主な方針や政策は下記の通りです。

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◆自己紹介(立候補に至った経過を含めてお話下さい)

私は、与謝野町で生まれ、高校を卒業するまで、この恵まれた環境の中でスクスクと育ってきました。高校卒業後は、フランスで学ぶ機会を得、都市設計を始めとした建築や政治学を学んできました。異国の地での生活は新しいものとの出会いの日々でしたが、その中で最も衝撃的な出会いがありました。一体なんだったと思われますでしょうか。それは、自分が育った故郷、与謝野町との出会いでした。故郷を遠く離れて振り返った時、この土地がいかに輝いた土地であるか、初めて知ることができました。織物をはじめとする伝統産業。ツヤツヤの米を作り出す農業。大切に保存されてきた景観やもてなしの心。これらすべてのものは、世界のどこにだしても恥じない、自慢できるものです。
素晴らしい可能性をもった私たちの町ではありますが、行財政をはじめとした多くの課題があることは確かです。町を歩けば、この町の将来を悲観し、半ば諦めに似た声も聞かれます。しかし私は、決して諦めるわけにはいきません。
この町が大好きだと断言できる子どもを育て、次の世代に受け継ぐ使命があります。そのために故郷に戻って参りました。私は、まちの発展に人生のすべてをかけていきます。

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総決起大会

3月16日(日)、野田川わーくぱるにて「山添とうま君を励ます 夢と希望の与謝野町をつくる会総決起大会」を開催して頂きました。多くの方々が応援にかけつけてくれ、大盛況となりました。お越し頂いた方々、応援メッセージを寄せてくれた方々、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました!
以下、スピーチ文を掲載します。

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ひとつの町へ

私たちが暮らす与謝野町・丹後は世界のどの町・どの地方にも劣らない豊かな場所です。私はこの地に生まれ育つことができたことを心から誇りに思っています。

しかし現在、この町に住む多くの人が、町が衰退している、そう感じているのではないでしょうか。日本の多くの地域がそうであるように、与謝野町でも人口が除々に減り、生活を支える雇用も、伝統産業の衰退とともにやせ細っています。家族で町に出て、外食をする機会も減ってはいないでしょうか。こうしたひとつひとつがこの町から活気を奪っています。

与謝野町総合計画にも掲げてあるように、この町には「美味しい水・豊かな緑・きれいな空」があります。しかしながら、今、行動を起こさなければ、与謝野町は、私たちのふるさとは致命的な危機に陥るでしょう。

合併後11年目からは、普通交付税の合併ボーナスが減り、15年目以降、ボーナスは完全になくなります。これにより、十分な準備と対策ができていなかった市町村は既に大変厳しい財政状況に陥っています。私たちの町も例外ではありません。与謝野町では今から2年後の平成28年度から合併ボーナスが減っていきます。さらに、それを待たずして、現在の町政が出している向こう3ヵ年の財政見通しはすでに大幅な赤字です。昨年、町のまとめた行政改革大綱にはこうあります。「このまま推移する限り、与謝野町は危機的な財政状況になる」と。

また、20年前に比べて、与謝野町の人口は3000人近く減少しています。さらに近年は、5年で1000人が減少するハイペースです。そうした中でも65歳以上の人口は大きくのびており、典型的な人口減・高齢社会がいまのこの町の姿です。

今夜この会場にかけつけてくれた人たちは、現状に危機感をもち、何とかしなければならないと考える人たちであると私は思っています。その気概に敬意を払うとともに心より感謝申し上げます。

私は先人たちが築きあげてきた伝統や文化を胸に刻みこみ、自らの人生を切り開く勇気を持つことや人を信じることの大切さを知り、日本だけではなく世界を舞台に挑戦してきました。

私は高校を卒業してから20代の後半まで海外はフランスで暮らし、随分長い期間、パンをかじり、赤いワインを飲み、大学に通っていました。世界中から集まってくる人々の多様性にもふれ、このままこの国に根をおろそうと思った春もありました。もう日本には戻らないかもしれないと思った夏もあり、もう与謝野町には戻らないかもしれないと思った秋もありました。しかし、冬のある日、さきほど宮崎会長の話にもありましたように、販路開拓事業でフランスに来られた丹後の企業の皆さんが大切なことを思い出させてくれました。私には生まれ育ったふるさとがあるということを。

私がこの町に帰郷したのは4年前です。以来、これまでの時間を取り戻すかのように、この地域を歩いてきました。私がこの目で見てきたのは、世界中で高い評価を得ている機屋さんや農家さん、彼らの活躍や努力だけではありません。子どもの大学進学費用をどのように捻出しようかと頭を抱えているお父さんや嫁ぎ先の両親の介護で疲れ切っているお母さん、自宅の階段を登ることができなくなり途方に暮れているおじいちゃんや仲が良かった近所の同級生に先立たれて寂しい想いで一杯のおばあちゃん、両親の離婚に悩む子どもたち。

こうした現実から目をそらすことなく、みなさんの不安を安心に変えていくために、新しい時代をつくるために挑戦します。私の描くこの町の将来像は、多様な人たちの知恵と技術が融合する「世界の与謝野」です。産業面では、今すでに事業をされている企業家・これから事業をはじめられる起業家を育てていくためにあらゆる可能性を探求し、国内だけではなく、世界も視野に入れた外貨獲得の増大と内需のほりおこしをめざします。農業面では、100年先も持続可能な農業計画を策定します。食は生きるうえで最も大切な営みであり、子どもたちがその豊かさを実感できるよう食育を推進します。教育面では、この土地の文化や伝統を学び、自らの人生を切り開くことができるよう、また、他人を幸せにすることが自分の幸せであると感じることができる人間に育つよう、学校教育や社会教育に取り組みます。福祉の面では、これまでの高齢者・障害者福祉政策を継承します。また、共働き・多子家族を積極的に応援していくために新しい視点で政策を展開します。役場は、みんなが参画できみんなを支え合える体制にします。町職員ひとりひとりが自身の力を発揮できる環境を整え、徹底した行政情報の公開をおこなうとともに町内のありとあらゆる場所で「どこでも町長室」を開催していきます。

もし仮に、私が町長の職責を担うには若すぎると懸念する人がいるのだとしたら、ともに新しい挑戦をしていくことでその不安を払拭してほしい。もし仮に、新しい時代を築くことなんてできやしないと思う人たちがいるのだとしたら、今一度、自分たちはこの地域のために何ができるかを問うてほしい。

私はみなさんに伝えたい。

庁舎問題や下水道問題など様々な課題に直面した時、与謝野町はひとつになったと垣根を超えたと言える雰囲気だったでしょうか。私たちはこの8年間、3つの町を一つの町にするために一体感の醸成に取り組んできたはずです。今夜、もう一度、この町が誕生した時に抱いた夢や希望を思い出してください。町を、私たちを分裂させている問題に力を注ぐ代わりに、何であれ私たちを結びつける問題を探求するという精神を思い出そうではありませんか。

旧岩滝町民のための与謝野町ではなく、旧野田川町民のための与謝野町でもなく、旧加悦町民のための与謝野町ではない。与謝野町民のための与謝野町を築いていきましょう。

最後に、大昔のある研究者がテコの法則を説明するために述べた言葉を紹介します。しっかりふんばって立てる足場を私に用意していただければ、地球を動かしてみせましょう。みなさん、これからの4年間は与謝野町の命運を左右する大切な時間です。私にしっかりふんばって立てる足場を下さい。みなさんの想いと期待を力にして与謝野町を動かしてみせます。

本日のご来場、誠にありがとうございました。

(仮称)OUR GARDEN

潜在住民「(過去にその街に住むなどしており、)離れた後もその地域に感情的なつながりを保ち続けている人々」というコンセプトによるまちづくりのイノベーションを目指し約2年の歳月が過ぎました。多くの方の協力をもらいながら、ひとつの区切りを迎えることができました。

2012年12月30日(日)。丹後地域在住者と丹後地域の潜在住民によるオープンでフラットなプラットフォームを設立していくという方針を決定しました。組織体制・事業内容などについては後日報告させてもらいます。

昨夜集まったのは、東京丹後人会若手会・2011年度与謝野町30歳の成人式実行委員会・2012年度京丹後30歳の成人式実行委員会などで活動しているメンバーでした。住んでいる場所ではなく、丹後地域をめぐる人の関係性こそが「街」であるという観点から様々な活動を展開していきたいと思います。

ぼくたちの活動に少しでも興味を持って頂ける方がいらしたら、ぜひともご連絡下さい!

与謝野町庁舎統合検討委員会(答申)

第9回与謝野町庁舎統合検討委員会が開催され、「加悦庁舎を改築して総合庁舎化する」としていた町長の原案に対して、「見直し」を求める答申書がまとめられました。以下、全文を記載しておきます。

与謝野町庁舎統合の検討について(答申)

当町は、合併後において分庁舎制をとってきましたが、将来にわたって現状のままを望む意見はなく、「庁舎の統合を図る」ことには異論がありません。
しかしながら、町から示された総合庁舎を加悦庁舎とし早期に統合する案については、賛同する者が少ないため、見直していただきたいと考えます。
また、庁舎の統合を図ることについて審議しましたが、その時期や方法においては意見が多岐にわたり、本委員会の設置要綱に定める3分の2以上の多数によって決することができませんでした。従って、委員会として大勢を占める意見に集約してとりまとめることができませんが、以下にまとめた意見を参考にしていただき、今後も引き続き、住民、議会、行政において真剣に議論を継続していただきたいと考えます。
なお、野田川庁舎本館は耐用年数が到来しており、継続した使用は避けるべきであり、早急に閉鎖の方向で対応されることが望ましいことから、速やかに機構改革を含む課の再配置を行い、安心安全な庁舎の実現に努力していただくことを望みます。
以上、答申とします。

福島へ

7月8日(日)、丹後地方で活躍する有志10数名と一緒に福島県新地町で「被災地復興支援事業」を行ってきました。活動内容は、丹後産品を使用したてっぽう(しょうがやごまなどで味付けしたおにぎり)・炭火焼き鳥・酒の提供などの炊き出し、大工・電気仕事などでした。現場の応急仮設住宅に着くまでは、ボランティア経験も乏しいぼくたちに適切な対応ができるかどうか不安の声もメンバーから聞こえていましたが、被災地のみなさんの寛容さのおかげで、何とか活動を終えることができました。

今回のプロジェクトに関わるに当たり、ぼくは二つのことを心がけました。一つは「新地町のみなさんに少しでも楽しんでもらうこと」で、もう一つは「もし近隣で原発震災が起きた時、どのように考え、行動するべきかを考えること」でした。後者については、みなさんとお酒を酌み交わすなかでひとつのことがはっきりと分かりました。それは、避難する人と現地に留まる人の両方が存在すると考えられることから、その両ケースに適合した生活支援制度を考えておかなければならないということです。

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NEWS

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デモクラシー・ナウ!

デモクラシー・ナウ!で公開されているウィキリークスの共同創設者で編集長のジュリアン・アサンジ氏のインタビュー映像のご紹介です。日本のマスメディアでは、あまり彼自身が語るウィキリークスについての報道はされていないように思います。
インタビューアーの「リスクを背負いながら活動を続けるあなたの希望の源泉は」という問いに対して、「情報提供者です。彼らは組織の内部にいて変化を求める人々です。私などよりはるかに大きなリスクを背負う英雄です」と語る彼に興味のある方は文末に記載していますホームページより映像をご覧下さい。

デモクラシー・ナウ!にとって、2010年は、ウィキリークスの年でした。デモクラシー・ナウ!では、米軍のヘリコプターの狙撃兵がイラクの民間人をまるでビデオゲームを楽しむかのように銃撃し、計12人を殺害したときに録画された2007年の生々しいビデオをウィキリークスが公開し世界を 震撼させた2010年4月、当時ワシントンDCにいたウィキリークスの共同創設者で編集長のジュリアン・アサンジを中継で番組に登場させたのを皮切りに、 6月の9万点以上に及ぶアフガニスタン戦争の米軍機密文書公開、10月の39万点余のイラク戦争に関する機密文書公開に際しても、主要メディアに先駆けて、ジュリアンをマークし本人や関係協力者の声を大きく取り上げ続けました。

さらに11月、米国務省の膨大な機密外交公電の山を公開し、アサンジに対する米国及び世界中の政府の標的になっていくと、緊迫したアサンジの身辺を彼の英国の弁護士を通して正確に把握すると共に、ウィキリークスの公開文書が明らかにしたさまざまな問題に丁寧に焦点を当て、暴露された情報を最大限に活かす努力を続け、独立系メディアの心意気を示しました。2010年12月31日に放送されたこのセグメントでは、ウィキリークスを追ったデモクラシー・ナウ!の総集編として、ジュリアン・アサンジが語る「ウィキリークス」がフォーカスされた記録的な1篇です。(大竹)

http://democracynow.jp/video/20101231-1

『社会的包摂』を思う

去る1月18日(火)、首相官邸で『一人ひとりを包摂する社会』特命チームの初会合が行われた。この特命チームは新たな社会的リスク「孤立化・無縁社会・孤族」が指摘される中、セーフティーネットの強化含めた社会的包摂を推進するための戦略策定を目的として設置されたもので、第一回となる会合では『一人ひとりを包摂する社会』の構築に向けた課題について議論があった。

この聞き慣れない「社会的包摂」とは何なのだろうか。大雑把に言うと、家族や地域社会、企業における従業員の家族意識といったお互いが支え合う機能が失われた結果、社会から孤立してしまった人々をもう一度社会の中に包摂しようという政策理念のことである。ヨーロッパ諸国で若い失業者、低所得者、外国人、ホームレス、薬物中毒者等を社会から排除しようという動きが顕著となり、そのために社会不安が増大してきた。それに対して、こうした事態が続けば国家の崩壊にまで行き着くという危機感から包摂理念が生まれたという。
確かに、数十年前に欧州諸国で顕在化していた諸問題は現在の日本が抱えるそれ(12年連続自殺者3万人超等)と合致すると考えられるし、その原因は「人や社会とのつながりの断絶」が根底にあるように思われる。

さて、「人や社会とのつながりの断絶」を改善すべき課題と捉え、その解決に向けてアートの現場からもアプローチがあるのはご存知だろうか。数年前に私もこのコミュニティアートと呼ばれる分野の存在を知り、幾つかの事例(地域や商店街の経済活動のためにアートを使用しているように見えた事例)を見た時は大いなる違和感を覚えたものだが、京都市上京区にオープンした『Social Kitchen』を訪れてみて、ここ数年でコミュニティアートのあり方が随分と進化したものになったという印象を受けた。詳述はホームページ①上の解説にゆずろうと思うが、21世紀型の公民館として機能(多様な背景を持つ人たちが集まり、会話し、議論し、学び、実践する)することを目指す活動は、これからのコミュニティアートの方向性を示しているように思われるし、さらには『一人ひとりを包摂する社会』実現の一翼を担っているようにも感じることができる。

今後『一人ひとりを包摂する社会』の実現を巡る動きが様々な領域で模索されていくことだと思う。私はその動きがサステナブルなものとして社会に浸透していくことを強く望む一人であるし、その動きにコミットしていきたいと思う。

①:http://hanareproject.net/



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