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レイテ島へ

3月30日〜4月3日までの5日間、フィリピンのレイテ島を訪れてきました。気温は30℃を超え、東南アジア独特の熱気に包まれるこの島は、第2次世界大戦において日本軍対アメリカ軍の陸上戦闘地となり、日本兵だけで7万人以上の戦死者がでるなど、世界の歴史に暗い影を落としています。

以前、このブログでも紹介させて頂きましたぼくの曾祖父の弟にあたる旧日本陸軍大尉・山添勇夫もこの島で戦死しています。今回の渡航は、レイテ島で戦死された方々の鎮魂活動を続けておられる広島県福山市の大田祐介市議会議員が、その活動のなかで、島内にある大尉の威徳をしのぶ記念碑を訪れて下さったことがきっかけとなり実現しました。

レイテ島では、ぼくや大田議員、福山市立大学とタクロバン大学との姉妹大学締結を目指す田淵教授、戦死されたお兄様の慰霊に来られた倉敷市在住の藤井さんたちと行動していましたが、皆様のご好意により、レイテ到着の翌日、3月31日の午前中には大尉とも交流のあった当時のドラグ市長の娘さん・サンタマリアさん(86歳!)とご友人と会談し、午後にはドラグ市内に建立されているキャプテン・ヤマゾエイサオ神社へ向かうことができました。

神社では、子どもの頃に家族から勇夫さんの話を聞いた時に受けた感動を思い出したり、サンタマリアさん達が教えてくれた勇夫さんの公平で偏見のない人への接し方や遠く離れたふるさとを想いながらレイテで暮らしていたという話などに想いを巡らしながら、同行してくれた皆さんと一緒に深い鎮魂の祈りを捧げることができました。

ぼくは自身の信念を貫き通し、どんな時代でも誠実であれと身を持って示してくれた勇夫さんに憧れを持ち、これまで生きてきました。今回の旅をきっかけに、ぼくの何かが大きく変化することはないと思います。ただし、この平和な国・日本は過去の犠牲のうえに成り立っているということは、より深く胸に刻み込まれることになりました。そして、ぼくはそれをけっして忘れません。

最後になりましたが、今回のフィリピン訪問でお世話をして下さった大田議員、サンタマリアさん、明平夫妻、田淵教授、藤井さん、そして、ご家族の皆さんに心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。

再びフランスと関わります

パリから帰国をして約3年。再びフランスと関わりを持つことになりました。

平成23年度より、京都府では伝統産業、デザイン、経済及び農業等幅広い分野における、京都とフランスとの交流・協力の可能性を研究し、時代の潮流に応じた課題対応型の地域間交流を推進することをテーマに掲げて、「京都府・フランス地域間交流推進ネットワーク」という地域力再生プラットフォームが立ち上がっています。この12月よりメンバーのひとりとして参画することになりました。

12月4日に開催された会合では、ラングドック・ルシヨン州とバス・ノルマンディ州との交流促進に関する意見交換をおこないました。フランス南部に位置して地中海に面するラングドック・ルシヨン州が希望されている交流分野は、①ワイン産業を通じた交流②地中海協議会(環境関係の有識者や旅行業者、レストラン等が参加する地中海保護・開発に関する会議)を通じた交流③京都府立医科大学とモンペリエ大学医学部との交流の3点です。

これに対して、天橋立ワイン・関西日仏学館・京都市国際化推進室・京都商工会議所・京都府立医科大学・堀場製作所・立命館大学・京都府海外経済課・京都府観光課・京都府農産課・京都府国際課の皆さんから様々な意見が出されました。ぼくは②に対して幾つかの提案をおこないました。そのひとつは漁業・水産行政に関するものです。乱獲による資源の減少と安売り競争が進むなか、漁業の売上は減少し、農業従事者の高齢化が進んでいるという日本の漁業の現状を背景にした提案です。
→京都府とラングドック・ルシヨン州、両府州における漁獲量を制限し資源を育成する体制を整えるための漁業協定の締結

この提案に関しては次回の会合(来年1月頃)までに、両府州の漁業・水産行政の現状をリサーチするとのことです。ぼくもそれまでに踏み込んだ提案をできるようにしていきたいと思っています。

http://www.pref.kyoto.jp/chiikiryoku/1305883160724.html

デモクラシー・ナウ!

デモクラシー・ナウ!で公開されているウィキリークスの共同創設者で編集長のジュリアン・アサンジ氏のインタビュー映像のご紹介です。日本のマスメディアでは、あまり彼自身が語るウィキリークスについての報道はされていないように思います。
インタビューアーの「リスクを背負いながら活動を続けるあなたの希望の源泉は」という問いに対して、「情報提供者です。彼らは組織の内部にいて変化を求める人々です。私などよりはるかに大きなリスクを背負う英雄です」と語る彼に興味のある方は文末に記載していますホームページより映像をご覧下さい。

デモクラシー・ナウ!にとって、2010年は、ウィキリークスの年でした。デモクラシー・ナウ!では、米軍のヘリコプターの狙撃兵がイラクの民間人をまるでビデオゲームを楽しむかのように銃撃し、計12人を殺害したときに録画された2007年の生々しいビデオをウィキリークスが公開し世界を 震撼させた2010年4月、当時ワシントンDCにいたウィキリークスの共同創設者で編集長のジュリアン・アサンジを中継で番組に登場させたのを皮切りに、 6月の9万点以上に及ぶアフガニスタン戦争の米軍機密文書公開、10月の39万点余のイラク戦争に関する機密文書公開に際しても、主要メディアに先駆けて、ジュリアンをマークし本人や関係協力者の声を大きく取り上げ続けました。

さらに11月、米国務省の膨大な機密外交公電の山を公開し、アサンジに対する米国及び世界中の政府の標的になっていくと、緊迫したアサンジの身辺を彼の英国の弁護士を通して正確に把握すると共に、ウィキリークスの公開文書が明らかにしたさまざまな問題に丁寧に焦点を当て、暴露された情報を最大限に活かす努力を続け、独立系メディアの心意気を示しました。2010年12月31日に放送されたこのセグメントでは、ウィキリークスを追ったデモクラシー・ナウ!の総集編として、ジュリアン・アサンジが語る「ウィキリークス」がフォーカスされた記録的な1篇です。(大竹)

http://democracynow.jp/video/20101231-1

ある美術学生からのお願い

あなたにとって、この世の中に不足しているもの/溢れているものは何ですか?

『Scarcity project』と題するこのプロジェクトは、オランダ・アイントホーフェンの美術大学生がデザイン活動のために行っている調査です。現在の質問に対するコメントは総計70余です。不足しているものでは、空間・情熱・綺麗な水・子ども・社会的マイノリティに対する理解・政治への関心など、溢れているものでは、ネットワーク・収入の格差・エゴイスト・メイドインチャイナ・ポケットティッシュ・コンビニなどの投稿があります。

僕は『onymous(顕名)/anonymous(匿名)』と答えましたが、皆さんなら何と答えるでしょうか。協力してもいいなと思われる方は、下記のホームページから投稿をしてあげて下さい。

What is scarce/overabundant in your daily life?
Survey page of my project! (*unsupported in Internet Explorer. the system is still under development.) I’d be very happy if you can take a few minutes to answer the small questions on this page. Thanks for your help and please spread the link to your friends, family, colleagues… Hope you enjoy it!

http://scarcity-project.net/

観光について考える

11月28日(日)午後、フランスからミシュラン三ツ星に一番近い男、Thierry Marx氏とTVキャスターのJulie Andrieuさんが、Marx氏のドキュメンタリー制作のために御来丹され、私も彼らの丹後を巡る旅の通訳を担当するために同行させて頂きました。

旅の行程としては〈橋立ワイナリー→向井酒造→舟屋めぐり→旅館千歳〉でした。短い時間でしたが、彼ら(特にMarx氏)と過ごすなかで印象的だったのは、とにかく幅広い知識と明確な思考回路をお持ちだったことです。私からの「フランスにおける地方の現在」「地方名産食とツーリズム」などの質問にも明確に答えてくれ、向井酒造さんでは女将さんのおもてなしを受けながら、以前触れたこともある地方での民泊事業の話をしてみると、フランスでの例を引き合いに出されて賛同してくれるとともに、地方が持つ閉鎖性が乗り越えるべき課題としてあることも示唆してくれました。

多様化する観光産業のニーズを的確に取らえることが、地域の新たな魅力発見のきっかけになるかもしれないと思いながら、地方における観光の在り方の模索を思考する私にとって、今回の彼らの訪問はとても勉強になったな思い返しています。これからの地方における観光は〈既存の観光地や物産〉開発ではなく〈人のつながり〉を生み出す仕組みの開発へと重点をおいていくことが必要だと私は思っています。

本の聖地

ヘイ・オン・ワイ(Hay-on-Wye)という町をご存知でしょうか。

英国ウェールズの片田舎に位置するこの町は、1960年代以降『古書』を核とした地域おこしを行ってきました。現在では、1年を通じて訪れる観光客は絶えず、特に1988年以来毎年5月から6月にかけて約10日間開催されている文学祭への来町者数は50万人にも及んでいます。特に古書愛好家の間では知らない人はいない古書の聖地となり、戦後イギリスで最も成功したツーリズムとして知られています。そんな聖地の形成は、本の王ことリチャード・ブース氏の存在を抜きにしては語ることができません。

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ベルギーより

7日より、ベルギーから美術大学テキスタイル学科の教授やデザイナーの皆さんが我が家に滞在しています。我が家を拠点にして、京都府丹後地方の織物企業見学をされていました。最後の夜となった昨晩(9日)は、ご近所の方や高校生も集まってくれて呑んで唄っての楽しいお別れ会を開催することができました。

ヨーロッパにはテキスタイルデザイナーは多数存在しますが、織物工場や織り手はほとんど存在しません。一方、丹後地方にはテキスタイルデザイナーはほとんど存在しませんが、優秀な技術を有する織物工場や織り手は多数存在しています。今後、相互を補完しあえるような仕事を彼女たちのような教授やデザイナーとともにすることができればいいなあと思いながら、数日間過ごしていました。

ご近所さん祭り

東京の大手建設会社に勤める友人が「東京近郊に建設されるマンションはその構造上、隣人間コミュニケーションが形成されにくくなっているがゆえに発見・解決できない社会問題があるように思う」と話をしてくれたことがあります。そんな友人の話を受けて思い出したことがあったので、皆様にもお伝えしておきたいと思います。

1999年6月1日、パリ17区にて都市部の隣人間コミュニケーションの低下を解消するために『La fête des voisins』日本語訳で『ご近所さん祭り』が開催されました。初年度にして、パリ17区の800棟、約1万人の人々の参加を得て大成功することになります。その後、大幅に参加市区を増やし、2009年度にはフランス国内のみならず国外にもひろがりをみせ約850万人が参加する年に一度の『祭』になっています。

ぼくもパリに住んでいた数年の間は住んでいた建物中庭で開催されていた『ご近所さん祭り』に食事やお酒を持参して参加していました。振り返れば、沢山のご近所さん(パリのアパートには本当に様々な国籍の住人がいます)と知り合い、今でもメールで「どこどこのパン屋さんがなくなった」「娘が小学校に進学する」「村上春樹の新しい著作はどうだ?」などのやり取りをしている元ご近所さんがいます。

そんなフランスでの体験を思い出しながら、友人の話を聞いているとフランス(現在は世界各国)で年に一度開催される『ご近所さん祭り』は友人の危惧を解消することができる可能性を含んだ先行事例の一つだと思えました。



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